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そして世界へ!第1回 田中達也(浦和)

 アテネ五輪が1年後に迫った。サッカーのU−22代表は3大会連続の五輪出場を目指す。5月のアジア地区2次予選では圧倒的な強さでミャンマーを下し、来年3月に延期になったファイナルラウンドに進出した。

 ニッカンスポーツ・コムでは「そして世界へ!」と題して、未来のフル代表候補でもあるアテネ五輪代表候補を紹介する。第1回は試合終盤の秘密兵器・FW田中達也(20=浦和)だ。身長167センチと小柄ながらスピードのあるドリブルでゴールを狙う田中は「U−22のスーパーサブ」の異名をもつ。そんな田中に高校時代のことや、現在の自身のプレーについて聞いた。


 ールに向かう姿勢がチームに流れ呼び込む 

 5月3日、アテネ五輪アジア地区2次予選第2戦。U−22代表はファイナルラウンド進出を目指しミャンマーと戦っていた。2日前の第1戦では3対0で下した相手だが、実力差を考えれば決して満足の行く結果ではない。この日も前半にDF茂庭照幸(21=FC東京)のヘディングシュートで1点のリードは奪っていたが、なかなか追加点が取れずにいた。

仙台対浦和 後半22分、シルビーニョ(右)のマークをはずしゴールを決める田中達也=03年9月27日、宮城スタジアム
 仙台対浦和 後半22分、シルビーニョ(右)のマークをはずしゴールを決める田中達也=03年9月27日、宮城スタジアム
 後半18分、山本昌邦監督(45)は「切り札」であるFW田中を投入した。「流れを日本に引き寄せてほしい」とベンチ、サポーターは願う。快速ドリブルでゴール前を切り裂く小さな弾丸はその期待を裏切らなかった。

 交代して4分後、DF青木剛(20=鹿島)から後ろ向きで受けたボールをトラップしながら反転。相手DFを一瞬にして振り切ると、左足で狙いすましてゴールを決めた。さらに後半25分には相手GKとの激しい接触で右上腕部を強打しながらも、PKを誘った。「ゴールに向かう姿勢が、チームに流れを呼び込む」と話す山本監督の期待に、田中は見事にこたえた。

 昨年10月のアジア大会でも途中出場ながら2得点を挙げた。随所で見せた効果的なドリブル。そしてここぞという時のシュート。普段は穏やかな表情の田中が、プレーに入ると一転、険しいものになる。その表情はまさに「鬼の形相」だ。しかしそれは集中力を高め、すべての力をサッカーに注いでいる証(あかし)だ。所属する浦和レッズでも、またU−22代表でも“スーパーサブ”としてのイメージが強いが、167センチの小さな体が秘めるパワーや強い気持ちは他のFW陣に決して劣らない。


 残り練習に明け暮れた高校時代 

−−田中選手は山口県出身で、東京の帝京高に進学したわけですが、なぜ帝京を選んだのですか?

 田中 中学時代は、高校に行って高いレベルでサッカーをやりたいという気持ちが強かったんです。県外でもいいからサッカーの強い学校に行きたいと考えていました。でもそういう強い学校からはどこからも誘いがこないし、そういう学校にどうすれば入学できるのか方法もわからない。そんな時に、当時のチームメートのお兄さんで帝京に行っている人がいて、その友人も帝京に行くと話していました。「入団テストがある」というので、僕も受験してみようって気持ちになったんですよ。

−−強豪校と呼ばれるチームで、刺激を受けたことは何ですか?

 田中 周りが本当にうまくて、最初はやっていける自信がなかったです。選手の数も多いし、1年生でもユース代表に選ばれている選手もいましたから、正直、多少あきらめ気分も感じましたよ。とにかくレベルが高すぎて絶望感すら感じましたね。

−−例えばどういうところで差を感じましたか?

 田中 ドリブルに関しては昔から大好きで、自信もあったけれど、それが全然通用しなくて…。今までだったら抜けるところも、なかなか抜けない。試合に出場しても、途中出場してすぐに交代させられることもあって、本当にショックでしたね。「このままじゃ絶対にダメだぞ」ってコーチに言われて腹を立てたりもしましたよ。

−−それからはもう練習に明け暮れるという毎日ですか?

 田中 そうですね。トップチームに入れないと、練習の時も他の選手の邪魔にならないように隅で練習するんです。トップチーム以外の選手は僕も含め、確か60人ぐらいいたんですが、その60人が1つのゴールで練習する。ひたすらシュート練習するんですけど、シュートを打つよりも待ち時間の方が長かったりすることもありました。それで居残り練習を始めたんです。毎日3時間とか4時間。高校時代は自分でも頑張ったんじゃないかなって思いますね。

−−その成果はすぐに表れたのですか?

 田中 当時100人ぐらいいた部員の中で僕は80番目ぐらいの評価だったんじゃないですか。試合にも出られないし、そんな簡単なものじゃなかったですよ。だけど、夏に1学年20人くらいが参加できる合宿のメンバーに選ばれたんです。そこですごく調子が良くて、それがきっかけで1年の大会に出られるようになりました。古沼(貞雄)監督(62)に見てもらえるようになって、1年時の暮れの選手権メンバーにも入ることができたんです。
Jリーグナビスコ杯・予選リーグ第3節 A組 神戸対浦和 後半43分、浦和・田中達也はゴール前に詰め、ジャンピングボレーシュートを放つ=03年4月9日、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場
 Jリーグナビスコ杯・予選リーグ第3節 A組 神戸対浦和 後半43分、浦和・田中達也はゴール前に詰め、ジャンピングボレーシュートを放つ=03年4月9日、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場

−−高校時代の経験は田中選手にとって大きなものでしたか?

 田中 僕よりもっと苦労している人はたくさんいますから、挫折といえないかもしれませんが、今振り返ってみると、高校に入学してからの5カ月間くらいは、レベルの差を痛感せずにはいられなかったし、それが本当に悔しかった。でも、それがあったからこそ頑張ることができたと思います。コーチから「お前にしかない武器を作れ」と言われ、今の自分の持ち味になっているドリブルを磨けたというのは、本当に良かったと思います。

−−浦和に入団した時も同じように差を感じたり、苦労したことはあったのですか?

 田中 入った当初は、プレーのスピードや状況判断の速さという面で差を感じたりしました。でもとにかく早くチームに慣れようということを最優先に考えていましたね。コミュニケーションをとることは大事なことですから。

−−そんな状況の中で、1年目から試合に出場していましたね。

 田中 同じポジションでケガ人がでたというのもあって、運が良かったと思いますよ。だけど当時はまだ足りないものばかりでしたね。チームに自分が生かしてもらう状態だったので、チームの調子が良ければ自分の良さが出せましたが、チームの調子が悪い時に出場して流れを変えることを求められているのに、それができなかったりして…。試合に出場したとはいえ、ただ出ただけという試合もありましたね。

−−今年の自身の活躍についてはどう思っていますか。

 田中 今シーズンは体のキレもすごくいい。もちろんFWとしては得点することを求められていますが、得点に絡めなくても、自分が流れを引き寄せられるようにと思ってプレーしています。

−− U−22代表でも浦和でも「スーパーサブ」というイメージが強いですが…。

 田中 (監督の)起用法はいろいろあると思うし、自分はその上でチャンスというか、役割を与えられるならそれをフルに生かしたいと思っています。もちろん、先発で出場したいという気持ちもあるし、スーパーサブだけで満足してはいません。ただ、サッカーはチームで戦うものなので、その中で自分が勝負して、結果を出していくことがチームのためにもなるだろうし、それが次につながっていくのだと思っています。

 ッチに入ると何かをやってくれる 

 途中出場が多いものの、過去2年間、着実に経験と実績を積み重ねてきた田中。その日々が彼の自信になっているのは言うまでもない。

 アジア地区2次予選2日後の5月5日。Jリーグのピッチに立った田中は、ここでも途中出場だったが、流れを呼び込みチームの勝利に貢献。決勝ゴールこそエメルソンが決めたが、その存在をしっかりとアピールした。

 かつて「スーパーサブ」といえば中山雅史(磐田)だった。いまやその代名詞は田中のものになりつつある。「あいつがピッチに入ると必ず何かやってくれる」。今、そのように田中を見ているサポーターは多い。大きな期待を抱かせるプレーヤーとして、田中が五輪ファイナルラウンドのピッチに立つ。

田中達也  ◆田中 達也(たなか・たつや) 1982年(昭和57年)11月27日、山口県徳山市生まれ。徳山市立周陽小でサッカーを始め、周陽中を経て帝京高へ。1年時に全国高校選手権準優勝。2年時に全国高校選手権、全国高校総体8強。01年浦和入団。同年4月29日、鹿島戦でJデビュー。今年1月に愛美さん(22)と入籍。167センチ、63キロ。

写真=仙台対浦和 後半22分、ゴールを決めた田中達也はこの試合2得点をあげる大活躍=03年9月27日、宮城スタジアム

 
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