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そして世界へ!第2回 鈴木啓太(浦和)

 アテネ五輪が1年後に迫った。サッカーのアジア最終予選はSARSのため来年3月に延期になったが、U-21代表は3大会連続の五輪出場を目指してニュージーランドと親善試合を行うなど、順調な調整が続いている。

 ニッカンスポーツ・コムでは「そして世界へ!」と題して、未来のフル代表候補でもあるアテネ五輪代表候補を紹介している。第2回は的確な指示と闘志あふれるプレーをみせるMF鈴木啓太(21=浦和)だ。東海大翔洋高(静岡)時代はそれほど目立つ存在ではなかったが、浦和に入団してから才能が開花。01年第2ステージからレギュラーに定着し、昨年5月のツーロン国際トーナメントからはコンスタントにU−22代表に選出されるようになった。そんな鈴木に高校時代のことや、今後の目標について聞いた。


 水の街に生まれたことに感謝している 

ナビスコ杯浦和対磐田 前半、浦和MF鈴木啓太(右)は磐田FW前田遼一と競り合う=03年4月23日、駒場スタジアム
 ナビスコ杯浦和対磐田 前半、浦和MF鈴木啓太(右)は磐田FW前田遼一と競り合う=03年4月23日、駒場スタジアム
 5月21日に行われたニュージーランドとの国際親善試合。この日、左腕にキャプテンマークをつけた鈴木は、試合開始直後から誰よりも声をはりあげ、チームの士気を高めていた。前半から一方的な日本ペース。36分には、左アウトサイドの根本裕一(21=仙台)があげたボールをFW中山悟志(21=G大阪)が頭で押し込み待望の先制点を奪う。その後3点を追加した日本が4対0で圧勝。鈴木も後半29分に交代するまで、阿部勇樹(市原)とダブルボランチを組み、持ち前の正確なパスと激しいプレーで攻守の要として活躍し、チームの勝利に貢献した。

−−プロサッカー選手になることを現実的なものとして考えたのはいつからですか?

 鈴木 高校3年生になってからですね。ずっとプロに入りたいという気持ちはあったけれど、僕自身はそんな目立つ選手でもなかった。体も小さいし、足も遅い。当時は技術だって高いわけじゃなかった。もちろん精神的な面では絶対に負けたくないと思ってましたけどね。だからとりあえず4年間大学に行って、そこでプロになるチャンスを見つけていきたいと考えていたんです。そんな時に浦和が練習に参加させてくれるということで、これはもうすごいチャンスだなって。

−−高校時代、へこんだ時期もありましたか?

 鈴木 うまくいかなくて正直、サッカーを辞めたいと思う時期もありましたね。当時の桜井和好監督もすごく厳しかったし。3年生の時は主将を務めていたということもあったのかもしれないけど、ずいぶんと怒られましたね。今となってはすごく感謝していますが、当時は「自分のことを考えて怒ってくれているんだな」と理解しながらも「クソー、なんでオレがそんなに怒られないといけないんだ!」って思ったこともありましたよ(笑)。怒られて、プレーが思うように出来ないと辞めたいなって思ったり。だけど、よく考えると自分にはサッカーしかないんだなって痛感させられて。やっぱりサッカーが大好きでしたから。

−−東海大翔洋高の名物練習のようなものはあったのですか?

 鈴木 気を抜いたプレーをすると「集合」という監督の声がかかって、それから即ダッシュ。何十分もずっとダッシュし続けるんです。かなりきつかったですね。何十人もいる中で1人がそういう気を抜いたプレーをするとみんなでダッシュ。連帯責任なんです。僕のせいでみんながダッシュさせられたりしたこともありましたよ。そんな時は本当にみんなに申しわけないなって思いましたね。だけどなんで自分はこんなに一生懸命プレーしているのに怒られるんだろうと思ったこともありましたよ。でも非常に高いところに目標を持っている監督だったから、僕たちがほんの一瞬気を抜いたところも見逃さなかった。そういう環境の中でサッカーを続けてきたからこそ、今の自分があるんだと思いますけどね

−−高校の3年間というのは、鈴木選手にとっては有意義なものでしたか?

 鈴木 あの3年間がなかったら、今の自分は全く違うものになっていたんじゃないかな。本当にいろんな人に支えられて今の僕が存在するんだと思います。今、プロ選手としてサッカーを出来ているのも、そしてこれからの人生においても、家族だったり、友達だったり、先生、コーチなど、温かく見守ってきてくれた存在が、かけがえのない宝物だと思います

−−静岡県清水市(現静岡市)の出身、清水FC、東海大一中、東海大翔洋高から浦和レッズへ。エリートコースを歩んできましたよね。

 鈴木 経歴的に見れば、そういうふうに見えるかもしれない。だけど、僕自身はそういう意識は全くなかったですね。ただ、有名な先輩達を輩出しているというだけで、自分には関係のないことだって。でも、その環境の中で絶対に負けたくない、負けちゃいけないんだというような意味で、プライドも得られたと思いますね

−−清水というサッカーの盛んな街で生まれたことを誇りに思いますか?

 鈴木 みんなサッカーが大好きで、本当に応援してくれるし理解がある。そういう環境にいなければ、親も自分を支えてくれなかったかもしれないし、そういう面では本当に清水という街に生まれたことに心から感謝していますよ


 −22代表、浦和で不動のボランチに成長 

 鈴木は昨年5月のツーロン国際トーナメントまでは代表候補に選出されながらもなかなか定着することが出来なかった。実質、この大会が鈴木にとっては初めての日の丸。だからといってピッチ上では遠慮することもなく、がむしゃらに自分のプレーをアピールし続けた。ドイツやイタリア、イングランドなどヨーロッパの強豪チームとの対戦。相手にはもちろん、味方選手にさえ負けたくないという気持ちやハートの強さが、鈴木のアグレッシブなプレーにつながっている。この大会でU−21代表は3位という好成績を残した。そして鈴木はそのチームのボランチとして戦った。

浦和対横浜 ドリブルで突破する浦和MF鈴木啓太=02年11月30日、駒場スタジアム
 浦和対横浜 ドリブルで突破する浦和MF鈴木啓太=02年11月30日、駒場スタジアム
 また、所属する浦和レッズに入団した00年はリーグ戦の出場がなかったが、天皇杯に出場。2年目の01年は第2ステージからレギュラーのポジションを獲得し、粘り強さと献身的な動きでチームのピンチを防いだ。そして現在は不動のボランチとして中心選手へと成長している。

 かつて浦和を支えた小野伸二(23=フェイエノールト)の存在も、鈴木の中では大きな目標となっている。「プレー面でも精神的な面でも尊敬できる人。まだまだ伸二さんとの差はあるけど、いつか同じピッチに立ちたい」。小野が清水商で活躍していた頃、鈴木は同じ静岡の東海大一中でプレーしていた。小野のプレーは鈴木を魅了した。小野と一緒にプレーすることが、浦和レッズ入団のひとつの理由でもあった。鈴木は、現在の自分に決して満足することなく、一歩ずつ着実に目標へ近づこうと努力している。

 昨年までチームの柱だった福田正博や井原正巳が引退した今年、鈴木にかかる期待は必然と大きなものになってきている。中心選手としての苦悩はつきないが、そこにやりがいも感じている。ピッチ上でチームメートや自らを奮い立たせるかのように叱咤する鈴木の姿には頼もしさすら感じさせるようになってきた。

 5月31日の韓国代表との親善試合では五輪代表でチームメートになる松井大輔(京都)大久保嘉人(C大阪)石川直宏(FC東京)がA代表に選出され、大久保がピッチにも立った。それが鈴木の気持ちに大きな刺激を与えた。「より高い質でプレーしたい。そしてもっと自分もアピールしたい」。

 目標が高いところにあるからこそ、その道のりは険しいかもしれない。しかし、それを乗り越えた時にまたひとつ成長できる。最終予選まであと9カ月。その間も鈴木は成長し続ける。

鈴木啓太  ◆鈴木 啓太(すずき・けいた) 1981年(昭和56年)7月8日、静岡県清水市生まれ。ボランチ、東海大一中→東海大翔洋高。99年国体準優勝を果たし、翌00年に浦和入り。01年第2Sからレギュラー定着。177センチ、67キロ。家族は父俊治さん(49)、母恵美子さん(49)、姉里枝さん(24)

写真=浦和対G大阪 パスを出す浦和MF鈴木啓太=02年11月16日、駒場スタジアム

 
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