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そして世界へ!第3回 阿部勇樹(市原)

 アテネ五輪代表候補を紹介する「そして世界へ!」の第3回は、若きリーダーMF阿部勇樹(21=市原)だ。市原ジュニアユースからユースチームを経てトップチームに昇格した阿部は、当時の最年少記録の16歳10カ月30日でJリーグデビューを果たした。今年は市原の主将としてチームを引っ張る。来年3月のアテネ五輪最終予選での活躍が大いに期待されている阿部にユース時代のことや、今後の目標について聞いた。


 ームをけん引する“和製ベッカム” 

柏対市原 後半8分ゴールを決めてガッツポーズをする阿部勇樹(左)に笑顔で集まる選手ら=03年7月5日、日立柏サッカー場
 柏対市原 後半8分ゴールを決めてガッツポーズをする阿部勇樹(左)に笑顔で集まる選手ら=03年7月5日、日立柏サッカー場
 阿部は昨年行なわれたアジア大会でボランチのポジションから外されるという屈辱を味わった。ゲームへの出場は果たしたが、DF青木剛(20=鹿島)の負傷により、リベロという不慣れなポジションでの起用となった。チームは準優勝したが、所属する市原でも98年のJデビュー以来、ケガ以外での欠場や、ベンチスタートの経験がなかっただけに、悔しさも人一倍感じていた。だが、この一件が、阿部に試合に出場することへの執着心を育ませることになる。

 4月1日のコスタリカ戦では自らの右足でFKを決めチームの勝利を導くと、五輪2次予選(ミャンマー戦)では安定したプレーを披露。さらに5月21日のニュージーランドとの親善試合でもFKで大久保嘉人(21=C大阪)のゴールを演出した。「和製ベッカム」と呼ばれるキックの正確さは観衆を魅了し、拮抗した試合ではその武器が勝敗を左右する。

 一方、今季は市原の主将を務め、高い能力と共に、その存在感をピッチの上で十分に発揮。(7月14日現在)首位に立つチームをけん引している。


−−阿部選手はJリーグチームの下部組織出身ですが、なぜ市原のジュニアユース入りを希望したのですか?

 阿部 Jリーグが開幕したのが小学6年生の時。やはりプロ選手になるのは憧れでもありましたし、Jリーグチームの下部組織でプレー出来るチャンスがあるのなら、頑張ってみたいなって思っていました。だから地元(千葉)にJリーグのチームが出来て、そのチームにジュニアユースがあると聞いたのでセレクションを受けたんです。当時、市川FCというチームに所属していたんですが、僕も含めて30人ぐらい受けました。実はジェフの前に横浜フリューゲルスのセレクションも受けたんですが、落ちてしまって(笑)。ジェフのセレクションの時は「ここもダメかな」と弱気になっていたんですが、なんとか合格できました。それから高校時代はユースに所属し、もう10年ここ(市原)でプレーしています。

−−ユース時代、高校サッカーに憧れることはありませんでしたか?

 阿部 正月の高校選手権を見ると、あの観客の多さを見てうらやましく感じていましたね(笑)。でも、ジュニアユース、ユースという選択は決して間違っていなかったと思いっています。ユースの先輩には(山口)智くん(現G大阪)や酒井(友之)くん(現名古屋)がいて、2人とも高校生でJリーグの試合に出場していた。その姿を間近で見て、かなり刺激を受けたし、目標にもなりました。そういう先輩が身近にいなかったら、自分の進路も違っていたものになっていたかもしれない。それほど影響は大きかったし、そういう環境の中でプレーできたからこそ、成長できたんだと思います。

市原対清水 市原MF阿部勇樹(右)は清水FW久保山由清と競り合う=03年9月27日、市原臨海競技場
市原対清水 市原MF阿部勇樹(右)は清水FW久保山由清と競り合う=03年9月27日、市原臨海競技場
−−サッカーをやめたいと思ったことはないですか?

 阿部 それは一度もなかったですね。練習に行きたくないと思ったこともないです。コーチにガミガミ怒られることは嫌だったし、コーチのことは怖かったですけどね(笑)。ただ、そういうように注意されたりすることで、同じ失敗をしてはいけない、ミスを繰り返してはいけないというような気持ちにもなれたことは確かです。当時はなんだよーって思っていたかもしれないけれど、今、振り返れば、自分のためにやってくれたことなんだって理解できますよね。

 だから今もそういう人の存在は自分にとって非常に大切だと思っていますし、コーチたちの言葉に重みを感じています。

−−たとえばそれはどういう時にですか?

 阿部 今年でジェフでプレーして10年になります。毎試合、常に全力でプレーしているのは当然のことですが、昨シーズンまでは「これぐらいやっておけば大丈夫だろう」とか「先輩がやってくれるだろう」というように、慣れというか、自分の中に甘えた部分がありました。どうしても、年下ということで先輩に対して言いたいことが言えなかったり、要求しなければならない場面でも、言葉にする前に自分で飲み込んでしまっていたんです。コーチたちにはそれをしっかりと見透かされてましたね。「もっと遠慮せずにプレーすればいい」と注意を受けました。その言葉を自分なりに解釈しながら、そうすることがチームのため、そして自分のためになるんだと理解できたんです。

−−そういう面では、今季主将になったことも、プラスに働いていますか?

 阿部 どうなんでしょうね(笑)。確かに大役を任されたことによって責任感を持ってプレーするようになったし、いい意味でプレッシャーにもなっています。自分が引っ張っていかなきゃいけない、そういう気持ちに自然となれる。仲間に自分の意志を伝えること、要求すること……それがどれだけ重みのあることなのか、少しずつ感じるようになっていますね。


 テネ五輪で自身初の世界大会出場目指す 

市原対東京 試合終了直前、ボールを奪い合う石川直宏と阿部勇樹=03年6月24日、市原臨海競技場
 市原対東京 試合終了直前、ボールを奪い合う石川直宏と阿部勇樹=03年6月24日、市原臨海競技場
 16歳10カ月30日のJリーグ出場は、当時の最年少記録だ。高校2年生でJデビューしてはや5年が経った。4月12日のファーストステージ第3節神戸戦では、同世代の選手たちの中で誰よりも早くJ通算100試合出場を迎えた。しかし、これまで常に順調なサッカー人生を歩んできたわけではない。

 3年前の9月には右すねを疲労骨折。それを悪化させた翌年には、完治しない足の手術を決断しなければならなかった。それは目前に迫った2001年ワールドユース出場断念を意味した。「骨が折れても行きたい」と心から待ち望んでいた世界大会への欠場は「今でも忘れることはない」と阿部が話す悔しい出来事だ。しかしその悔しさは「少々のことではヘコまない」というように、現在は力の源へと変わった。

 アテネ五輪への出場が決定すれば、阿部にとって初めての世界大会となる。だからこそ是が非でもアテネ五輪アジア最終予選を突破したいという気持ちは強い。阿部は「まずはチーム(市原)が優先」とV争いを視野に入れながらも、来たるべき日を楽しみに待つ。世界への扉を開くために。

阿部勇樹  ◆阿部 勇樹(あべ・ゆうき) 1981年(昭和56年)9月6日、千葉県市川市生まれ。小学1年でサッカーを始め、中学入学と同時に市原ジュニアユースに入団。その後、市原ユース→市原。95、96年日本クラブユース3位。97年には千葉県国体選抜に選ばれる。高2の8月にG大阪戦でデビュー、16歳10カ月30日での出場は当時J最年少記録。家族は両親、姉と兄。178センチ、75キロ。

写真=練習中に笑顔を見せる阿部勇樹=2003年9月21日、千葉・姉ヶ崎グラウンド

 
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