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そして世界へ!第5回 石川直宏(東京)

 アテネ五輪代表候補を紹介する「そして世界へ!」の最終回は、右サイドのチャンスメーカー石川直宏(22=東京)だ。8月に完全移籍した東京では右サイドのMFとして力を発揮している。もちろん五輪代表でもスペースへ飛び出すスピードと足元の高い技術で右サイドから次々とチャンスを作りだす。そんな石川も横浜在籍時には、試合への出場機会に恵まれず悩み続ける日々があった。来年3月の五輪予選に向けて欠かせない存在である石川が、移籍時のことやフル代表のことなどを本音で語った。


 京への期限付き移籍が大きな転機に 

 石川が右サイドを疾風のごとく駆け抜けるとスタジアムが大きくどよめく。次はどんなプレーを見せてくれるのか。ボールを持ったその瞬間から、観客の目を釘付けにする。

ナビスコ杯 東京対柏 前半18分、先制ゴールを決めた東京MF石川直宏=03年4月23日、国立競技場
 ナビスコ杯 東京対柏 前半18分、先制ゴールを決めた東京MF石川直宏=03年4月23日、国立競技場
 今でこそ、チーム、代表の中心選手として活躍しているが、昨年、東京に移籍するまでは試合に出場できないという苦悩も味わった。01年ワールドユース選手権に出場した石川は、チームが予選敗退した中でも高い評価を得た。だが帰国後に彼を待っていたのは試合に出られないという厳しい現実だった。「ユース代表でできることが、どうしてチームではできないのか」。疑心暗鬼になることもあった。

 「試合に飢えていた」。

 出場機会を求めて移籍を考えた。もちろん移籍しても試合に出場できるという保証なんてどこにもない。誰も約束なんてしてくれない。しかしたとえリスクを背負ったとしても、それが自分の未来につながると信じて挑戦するしかなかった。そして石川はジュニアユース時代から慣れ親しんだ横浜からの移籍という決断をした。

 東京への期限付き移籍は大きな転機となった。以前から石川を評価していた原博実監督(44)は「とにかく思い切ってプレーしてくれよ」と言葉をかけた。移籍直後、まるで以前から所属していたかのように彼のプレーはチームにフィットした。サポーターの心をつかむのにも、そう時間はかからなかった。

 それから1年4カ月。彼は東京の中心選手としてピッチの上を駆け巡っている。


−−石川選手は横浜Fマリノスの下部組織で育ち、プロになったわけですが、順調な道のりでしたか?

 石川 ジュニアユースからユースへと上がって、トントン拍子にきたように見られますが、実際は体も小さかったこともあって苦労しましたね。それに高校3年の4月から夏くらいまで試合に出られなかった時期もありましたし。

−−そんな中でもトップチームに昇格したんですよね。

 石川 (プロの)サッカー選手になりたいと思う気持ちは当然大事だけれど、それだけではダメ。気持ちだけでなれるような甘い世界ではないし、僕が言えるような立場じゃないけれど、自分が経験して感じたことは、例えば技術的な部分で言えば「人より特徴のある選手、武器のある選手になれ」ということですね。

−−そういうことは中学、高校時代からいつも考えていたのですか?

 石川 そういう話を指導者の方からも聞いていましたからね。もちろん、すべての面において基準が高ければそれに越したことはありませんが、なかなかそれも難しい。そう考えたら、自分が一番得意なものを伸ばしていくこと、そして最後まで自分を信じることが大切だと感じましたね。

−−ユース時代の一番の思い出とはなんですか?

 石川 今もそうですけど、不安な部分が大きかったというか…。プロ選手としてプレーしている現在、結果が出せなければキラれちゃうような厳しい世界にいますが、ユースはユースですごく厳しいところでした。当然ですが、学生なので他のところにも力を注ぎながらサッカーをしなければならないし、でも、そんな中で「もっとサッカーに集中したい」という気持ちもありました。ジレンマを感じていましたね。

−−中学生や高校生の頃はすべてに反抗したい時期でもありますね。そういう時の指導者の言葉を石川選手はどう受け止めていたのですか?
東京対磐田 前半4分、東京MF石川直宏(左)は磐田MF成岡翔とボールを奪い合う=03年9月23日、味の素スタジアム
 東京対磐田 前半4分、東京MF石川直宏(左)は磐田MF成岡翔とボールを奪い合う=03年9月23日、味の素スタジアム

 石川 すごく難しかったですね、指導者の方の言葉を自分の中で消化することが。自分が試合に出ていない時期に言われる言葉が特にそうでした。でも、不思議なもので、自分が試合に出ていた時に言われたことよりも、試合に出られなかった時期に言われた言葉の方が鮮明に覚えていたりするんですよ。その後につながるような言葉が多かったからかもしれませんね。


 分が必要とされる時がくると信じていた 

−−プロに入ってからも試合に出られない時期がありましたね。

 石川 ユースの時に感じた気持ちとはちょっと違いますけど、いつも前向きに考えるようにしてました。試合に出られなくても、自分のようなタイプの選手が絶対に必要とされる時期がくると信じていた。だからそのチャンスが来た時は絶対に逃せないと思ったし、確実に結果を残さなければならないと思っていました。チャンスはたった1回かもしれないし、2回かもしれない。何回くるのかはわからないけど、チャンスは誰にでも必ずやってくると思うんです。要はそれを活かせるか、活かせないかですよね。でも待ってばかりでもいけない、そういうものは自分で引き寄せなければならないと思っています。

−−チーム、U−22代表とハードな日程の中、5月には初めてA代表にも選出されましたね。

 石川 もっともっと経験したい場所。技術的な面もそうですし、それ以上にメンタル面においてもわかったことが多かった。貴重な経験でしたね。

−−今、サッカーをしていて楽しいですか?

 石川 そうですね。楽しいと感じていますし、そういう時期が自分が一番成長している時期だと思います。


東京対横浜 ボールを奪い合う石川直宏(左)とマルキーニョス=03年8月30日、味の素スタジアム
 東京対横浜 ボールを奪い合う石川直宏(左)とマルキーニョス=03年8月30日、味の素スタジアム
 8月7日、FC東京への完全移籍が発表された。

 U−22代表の一員としてエジプトに遠征していた石川は、その地からこんなメッセージを送っている。「中学から育ったクラブを離れるのは寂しいことですが、目標や夢に向かってサッカーを続けていくことには何ら変わりはなく、これからも自分のサッカーの原点を忘れずにより高いところを目指してプレーしたいと思います」。

 ひとつの節目を迎え、ますます石川に対する周囲の期待も希望も大きくなる。同時に苦悩や壁にぶつかる事もあるはずだ。しかしそれが石川を強くし、成長させていく。

 小学6年生だった93年。ヴェルディ対マリノスのJリーグ開幕戦を、「いつか自分もあのピッチに立てればいいな」とあこがれの眼差しで観戦した。10年後の03年。彼はかつて憧れたあのピッチでプレーし、今度は自分が夢を与える立場にたっている。石川直宏22歳。彼の挑戦はこれからも続いていく。

石川直宏(左)  ◆石川 直宏(いしかわ・なおひろ) 1981年(昭和56年)5月12日、神奈川県生まれ。横浜のジュニアユース、ユースを経て00年横浜に入団。同年U−19代表でアジアユース選手権準優勝、01年にはU−20代表でWユースアルゼンチン大会に出場。02年4月に東京にレンタル移籍。右サイドの定位置をつかんだ。同年10月の釜山アジア大会ではU−21代表で準優勝。家族は両親と弟2人。175センチ、68キロ。B型。

写真=ナビスコ杯東京対柏 3点目を決めたMF石川直宏(左)と4点目を決めた阿部吉朗は肩を抱き合って喜ぶ=03年4月23日、国立競技場

 
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