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小野伸二特集

小野伸二
練習中に笑顔でガッツポーズをする小野伸二=03年6月3日、埼玉スタジアム
 「ボールは友達」。オランダリーグ、フェイエノールトで活躍するMF小野伸二(23)の傍(そば)には、いつでもサッカーボールがあった。高校時代には総体、全日本ユースで各1回、国体では2回の優勝経験があるが、高校サッカーの最高峰である選手権には出場できなかった。その悔しさをバネにJリーグ浦和時代には仏W杯に出場。さらに2001年にはフェイエノールトに移籍し、日韓W杯では16強入りに貢献した。昨季終盤に左足首を痛めて実戦から遠ざかっていたが、8月31日のNAC戦で復帰。欧州で3季目を迎える小野には無限の可能性が広がっている。

子供の頃のボール遊びが高い技術生む
 子供のころからサッカーボールが唯一の遊び道具だった。狭い路上が小野の遊び場。壁にボールをぶつけ跳ね返ったボールを再び蹴る。このボール遊びが、絶妙のボールコントロールと、南米の選手のようなやわらかいタッチを身に付けさせた。

 静岡・沼津の今沢小3年の時、今沢小サッカー少年団で本格的にサッカーを始めた。小5の時には沼津市の選抜チームである沼津FCに入団し、東海選抜にも選ばれている。小、中学校時代に同じチームでプレーした選手に、現在、競輪のトップレベルで活躍し日本代表としてアジア選手権にも出場した栗田雅也(23)がいる。「とにかく小野君はすごくうまかった。小学校の時には中学レベル、中学の時には高校レベルのプレーをしていましたからね。プロになるにはこれくらいのヤツじゃないとなれないんだろう」と栗田は小野のプレーを見て、高校からはサッカーをあきらめ自転車に転向した。それほど小野のテクニックは卓越していた。


選手権出場叶わなかった悔しさをバネに
 パルマMF中田英寿(26)のパスは「キラーパス」と称される。敵の背後の死角を突き、時には味方のFWすら追いつけないような鋭いスルーパスだ。対する小野のパスは味方にやさしい。日本では「エンジェルパス」、フェイエノールト入りしてからは地元の新聞から「ベルベットパス」のニックネームをつけられた。ベルベットとは英語で肌触りのいい滑らかな織物のことだ。

 そんなパスをすでに高校時代に身に付けていた。サッカー王国・静岡で、小野は高原直泰(23、現ハンブルガーSV=当時清水東)とともに1年生で県選抜チーム入りし、福島国体に司令塔として出場している。その時のFWの選手の言葉が小野のすごさを物語る。「伸二がボールを持ったら、僕はゴールに向かって走ればいいんです。後ろを気にする必要はない。走っていれば目の前のシュートを打ちやすい位置にボールが飛んでくる。それが伸二のパスなんです」。微妙にボールに回転をかけ、パスを受けた選手が次のプレーに移りやすいように計算されている。

一生、スポーツ。
アクエリアス
 アクエリアスでは02年に引き続き03年も「一生、スポーツ。アクエリアス」キャンペーンを展開している。2年連続でCMに起用されているのがフェイエノールトで不動のレギュラーとして活躍する小野伸二(23)だ。
小野伸二
 このCMは、小野がオランダにある室内競技場であらゆる世代の地元のサッカーファンたちと攻守交代しながら勝負をするという設定だ。幼稚園児のチームや活発な小学生女子チームとは楽しそうに、中学生や高校生のチームが相手の時には真剣にプレーする。そしてシニアチームとの対戦では、老練なパスワークに小野はほんろうされてシュートを決められガックリというシーンまである。

 撮影はCMの設定の通りオランダで、シーズン中で多忙な時間を割いて行われた。すっかりオランダでも認知されている小野との共演ということもあって、CMに登場する選手や、付き添いの家族は大喜び。小野は撮影の合間に、子供たちにサッカー教室を開くサービスぶりだった。小学生女子チームにはすきをつかれて得点を許してしまい、悔しいながら微笑んだり、高校生男子には格の違いを見せ付けてニンマリしたりと小野の様々な表情を見ることができるCMだ。

 「静岡にすごいヤツがいる」と全国的にも名が知れだした清水商時代。小野は静岡県選抜の一員として国体2連覇、清水商でも2年時に全国総体を制し、全日本ユースでも1年時に優勝、3年時に準優勝と輝かしい成績を収めている。しかし高校サッカー最高の舞台である全国選手権への出場という夢はかなわなかった。最後の挑戦となった3年時の県選手権の準決勝は南雄太(23=現柏)がゴールマウスを守る静岡学園との対戦だった。延長まで両チーム無得点のままPK戦に突入。小野はPKを外し、チームも1−3で敗れた。「プレッシャーに負けました。主将である自分がチームを引っ張れず残念」。この悔し涙が、この後の小野の活躍につながっている。

コンフェデ杯辞退、欧州3シーズン目に向け8・31復帰!
小野伸二
 W杯 チュニジア対日本 後半20分、カイス・ゴドバンの激しいチャージを受ける小野伸二=02年6月14日、長居スタジアム
 シドニー五輪前に左ひざ内側側副(ないそくそくふく)じん帯を断裂し、五輪代表から漏れた。「シドニーに行きたいという強い気持ちはあったし、代表に入るために全力を尽くしましたから、ショックです。いい経験になると思ってましたから」。努めて冷静に話したが、この後、一人で泣いたという。しかし大ケガから立ち直り、夢だったオランダリーグ入りを果たした。オランダでの2シーズン目を終えた小野は、左足首骨挫傷からキリン杯とコンフェデ杯での代表入りを辞退し、リハビリに励んだ。8月25日にはチームに合流し、31日のNAC戦の後半12分から途中出場し、欧州3シーズン目のスタートを切った。前回の大ケガが小野を大きくした。今回の故障も彼をさらに成長させるはずだ。

 中学時代には、あこがれのマラドーナのビデオテープを擦り切れるほど見て研究した。そして今、小野は子供たちに憧れられる存在になった。06年には小野自身、3大会連続となるW杯出場を目指す。「ボールは友達」。天才と呼ばれた男はまだ23歳。前途は限りなく明るい。



小野伸二  ◆小野伸二(おの・しんじ)  1979年(昭和54年)9月27日、静岡県沼津市生まれ。今沢小−今沢中を経て名門・清水商に入学。98年浦和入り。同年、Jリーグ新人王。01年7月にフェイエノールト移籍。代表では96年U−17世界選手権出場、99年ワールドユース準優勝。98年4月1日の韓国戦でフルデビュー。同年W杯フランス大会出場。00年アジア杯優勝、01年コンフェデレーションズ杯準優勝。02年日韓W杯で16強入り。家族は千恵子夫人(24)。175センチ、74キロ。O型。

 
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