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| 今年の四日市中央工は強い。就任11年目の樋口士郎監督(46)が「僕が率いた中でもトップレベル」と自信を持つ戦力。中でも、中盤のバランスを保つU−18日本代表MF中川裕平(3年)の存在は不可欠だ。派手さはないが、冷静な戦況判断で攻撃型のチームを下支えする。1年時の選手権では欠場した準々決勝国見戦でチームが敗れ、国立行きを逃した悔しさがある。高校生活最後の大会は2年越しの雪辱の舞台でもある。 |
中川には高校選手権に置いてきた「忘れ物」がある。04年1月5日、準々決勝の国見戦。1年生ながら先発左サイドバックで大会に臨んでいた中川の姿は、会場の駒場スタジアムになかった。試合前日にインフルエンザにかかり、39度の高熱に苦しんでいた。
「当日の朝に点滴を打ったけど、やっぱり厳しくて…。結局、宿舎でテレビを見てました。悔しかったですね」。
結果は終了4分前にFW平山(現ヘラクレス)に得点され、0−1の敗戦。あと1勝に迫っていた国立行きの夢はブラウン管の中で消えた。雪辱を期した昨年度は三重県大会決勝で津工に敗れ、全国切符を逃した。2年ぶりにこぎつけた今回の選手権は、ボランチとして攻撃型のチームを支え、主将の大役も任される。
冷静沈着で頭脳派。好きな選手はACミランのイタリア代表MFガットゥーゾ。献身的にスペースを埋め、黙々と仕事をこなすスタイルが自分の持ち味と重なる。「中学の時はトップ下とかやったこともあるけど、高校では無理と分かった。華やかなのは自分は向いてない」。
自分の適性を悟り、守備に特化してから能力は開花した。1年時にはU−16日本代表に選出され、今年もU−18日本代表でスロバキアやポルトガルなど欧州遠征を経験した。ボランチ、センターバック、サイドバック。守備的な位置ならどこでもこなせる幅広さがある。 |
当然、卒業後の進路はJ1を第一希望にしていた。夏には名古屋の練習に参加した。だが、秋まで待ってもオファーは届かなかった。10月には同じ四中工のFW坂井のJ2山形入りが決まった。
「あれを見てたらプロにいきたくなりましたね」。全国のスカウトが集まる選手権を最後の「就職活動」にする方法もあった。だが、中川は違った。樋口監督が明かす。「J1からオファーがなかった時点で『大学に切り替えます』と。あの子は客観的に自分を見れるんでね」。
12月中旬、早大社会科学部への進学が決まった。「進路は大会前に決めたかった。選手権に集中したいから。本当は県大会の前がベストだったんですけど」。プロ入りの目標は4年後に持ち越し、最後の選手権で最高の結果を残すための道を選んだ。その行動にも「フォア・ザ・チーム」の考え方が表れている。
11月21日に決まった組み合わせ表を見て、因縁を感じた。同じブロックには国見がいた。順当に勝ち上がれば、準々決勝で激突する2年前と全く同じ条件。今度はピッチに立って国見を破り、国立行きを決めたい。「忘れ物」を取り返す中川の選手権が始まる。 |
写真上=選手権三重県大会決勝 四日市中央工対三重 巧みなボールさばきで中盤を支配する中川=11月13日、県営鈴鹿スポーツガーデン
写真下=選手権三重県大会決勝 四日市中央工対三重 優勝を決め、手を広げて喜ぶ中川(右端)=11月13日、県営鈴鹿スポーツガーデン |
中川裕平(なかがわ・ゆうへい)
1987年(昭62)7月24日、三重県四日市市生まれ。小3でサッカーを始め、西笹川中を経て四中工へ。主に1年で左サイドバック、2年でセンターバック、3年でボランチを任されてきた。1年時に初めてU−16日本代表に選ばれて以来、ユース代表の常連。177 センチ 、69 キロ 。 |
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