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菊地直哉(きくち・なおや)
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1984年(昭和59年)11月24日、静岡県清水市生まれ。船越小1年からサッカーを始めた。清水二中時代は、J1清水ジュニアユースに所属し、全国大会優勝1回、準V2回。00年U−16アジア選手権3位、01年U−17世界選手権出場。ボランチから司令塔、DFまでこなす万能型。家族は父昭治さん(50)、母幾子さん(47)、姉由紀子さん(23)、兄哲哉さん(21)、祖母小林信子さん(72)。178センチ、60キロ。血液型AB。
清水商MF菊地直哉(3年)は名門・清水商のエースナンバー8を背負う主将として、またU−19日本代表の中盤の大黒柱としてユース世代の最前線で戦い続けている。高校レベルを超える速く的確な状況判断と、高い守備力を併せ持ち、昨年のU−17世界選手権では主将を務めた経験ももつ。菊地は今年4月には、稲本潤一(23=フルハム)も所属したプレミアリーグの覇者・アーセナルに招待され2週間練習に参加し、世界最高レベルのサッカーに触れた。菊地は今、充実の時を迎えようとしている。
名門・清水商県内3冠の立役者
選手権3度、総体4度、そして全日本ユースでは5度の全国制覇を果たし、小野伸二(23=フェイエノールト)や川口能活(28=ポーツマス)ら日本代表を数多く輩出した清水商。中学2年時に清水Jrユースで全国制覇を果たした菊地は、名門の偉大な先輩たちの系譜を継ぐ存在として、入学当初から注目された。
菊地が入学した00年の清水商は、後にJ1東京V入りしたFW佐野裕哉(20)、MF小林大悟(19)、広島入りしたDF河野淳吾(20)ら、そうそうたるメンバーがそろっていた。そんな中、菊地は入学式前の4月1日、福岡で行われたFBS杯チャンピオンズ大会の市船橋(千葉)戦でデビューした。その2カ月後の県総体では、現在もU−19日本代表でともに戦うMF成岡翔(3年)が所属する藤枝東と決勝で激突。成岡に先制ゴールを奪われたが、菊地の逆転決勝弾で優勝し全国総体に出場した。全国総体では3回戦の滝川二(兵庫)戦でゴールを決めるなど8強入りに貢献し、1年生ながら名門チームの核といえる存在になった。選手権県大会では、エースの佐野が左足骨折、小林が左足首ねん挫など故障者が続出する中で「自分が中心で頑張らなきゃと思った」と踏ん張り見事に優勝。この年の県内3冠(新人戦、総体、選手権)獲得の立役者となった。
02年9月 高知国体準々決勝の群馬戦で、強烈なヘッドを見せる菊地(上)
選手権県大会では新人王にも選出された。88年のMF山田隆裕(30=仙台、清水商出)から昨年柏に入団したU−19日本代表DF永田充(19=静岡学園出)まで、12年間で11人の新人王がプロ入りを果たしている。菊地はプロへの「登竜門」ともいえる勲章を引っさげて、高校サッカー最高の舞台・全国選手権のピッチに立った。2戦目の武南(埼玉)にPK戦の末に敗れたが、2試合ともにフル出場。「全国での負けは悔しかったけど、自分にはまだ先があるから今後に生かせばいいと思った」と振り返る。
しかし01年1月4日の新チーム始動後は、清水商と菊地にとって、つらく苦しい日々が続いた。新人戦は県8強止まり。総体では県大会1次トーナメントの沼津東戦でPK戦の末に敗退した。この試合では菊地自身もPKを外してしまった。9月1日から元東京V総監督の李国秀氏(45)を特別コーチとして招へい。菊地自身2度目の全国選手権を狙った県大会でも、17年ぶりに決勝トーナメント進出に失敗するという屈辱を味わった。
周囲は名門の不調を声高に騒ぎ立てた。そんな中でも菊地は「1年間、いろいろと我慢してきた。でも李さんが来られて基本を見直すことができた。結果は出なかったけれど何とも思わなかった」と自らの信じる道に向かって黙々と前進を続けた。9月にはトリニダードトバゴで開催されたU−17世界選手権に出場、主将を任された。結果は1勝2敗で1次リーグ敗退だったが、ボランチあるいはトップ下というポジションで、世界を相手に互角の戦いができる力を証明した。
アーセナル練習に招待、稲本とも面会
02年8月 SBS杯で日本代表の菊地(左)は静岡県選抜MF杉山主将と競り合う
大会での活躍が認められた菊地には素晴らしいプレゼントが待っていた。アーセン・ベンゲル監督率いるアーセナルから、費用をすべて持つという破格の条件で練習に招待されたのだ。3月20日からU−19日本代表ドイツ遠征に参加した菊地は、4月3日の代表遠征終了後その足でイギリスに渡り4月14日までの11日間、世界最高峰のサッカーを体験、現地では稲本とも面会した。
4月14日に帰国した菊地は「前から世界は意識していましたが、厳しい中で刺激が多かった。頭の中の判断のスピードが違いました」とイングランドでの充実の日々を振り返り、目を輝かせた。そして「自分が清商でやってきて通用した部分、しない部分がはっきり分かった。自信になったことも多かった」と確かな手ごたえをつかんだ。このころを境に、菊地の口からは「清商のサッカーをやれば世界に通用する」という言葉がよく聞かれるようになった。
清水商、日本代表の活動に加え、3年連続で国体静岡県選抜にも選ばれ、菊地の日々は多忙を極めた。5月のU−20アジア選手権1次予選を挟み、何度も繰り返される日本代表合宿と、平行して行われた静岡県総体…。日本代表の盟友・成岡との雌雄を決する大舞台、6月2日の準決勝・藤枝東戦の前には、はしかにかかり40度近い高熱を出してダウンした。
前日に急ピッチで調整し、ぶっつけ本番状態で何とかピッチには立ったが体調は最悪だった。前半終了時にはロッカールーム脇で倒れこみ、何度も苦しそうに咳込んだ。後半ピッチに向かう時には、真っ青な顔で体を大きく震わせ、両足を引きずっていた。しかしホイッスルが鳴った瞬間、見違えるような動きに変わりチームを心身ともに支え勝利に導いた。
6月8日の決勝でも、日本代表でともに戦うFW矢野貴章(3年)率いる浜名を下し、2年ぶり13度目の県制覇を果たした。その瞬間、菊地はかみ締めるようにこう言った。「去年から辛い時期が続いてきたけれど、みんなで乗り越えてきた。ぼくたちがこの1年間やってきたことが、間違ってはいなかったことが証明されたんだと思います」。一つ一つの言葉に1年間の悔しさ、苦しさ、そして取り戻した自信、喜びが混じっていた。
U−20アジア選手権フル出場
名門・清水商のエースナンバー8を背負う菊地(中央)
総体では4強入り、3年連続で出場した国体では準優勝と全国の舞台で活躍した菊地は、さらなる大きな戦いの舞台・U−20アジア選手権に乗り込んだ。03年、UAEで開催されるワールドユース出場権をかけ4強入りが至上命題とされる厳しい戦いだったが、1次リーグから決勝までの6試合にすべてフル出場。トップ下、ボランチ、バックとあらゆるポジションでの起用に応え、日本の準Vに大きく貢献した。
「トリニダードでは悔しい思いをしたので、アジアで勝ち再び世界に行きたい…どれだけ自分が通用するか試してみたいです。いいサッカーをして、いろいろな人から評価されたい」。無限の可能性を秘めた菊地が、日本から世界へ羽ばたく日も、そう遠いことではない。
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