部活の花道 高校サッカー
高校サッカー推進委員会
インターハイ特集
全日本ユース選手権特集
全国高校選手権特集
全日本高校女子選手権特集
金の卵を探せ!
目指せ!国立
女子マネ応援日記
高校サッカー推進委員会
nikkansports.com インデックス> サッカーTOP> 高校サッカー特集TOP>

市川大祐インタビュー 市川大祐インタビュー

 未来のW杯日本代表の夏が始まる。全国高校総体サッカー競技は8月2日、全国の予選を勝ち抜いた55校が参加して茨城・鹿嶋市などで開幕する。この大会には2004年のアテネ五輪、2006年のドイツW杯を目指す未来の日本代表候補がたくさん出場する。

市川大祐  ニッカンスポーツ・コムでは6月に行われた日韓W杯に出場した市川大祐(22=清水)に独占インタビューを行った。市川は高校生だった98年4月1日の韓国戦に17歳と322日で出場し日本代表の国際Aマッチ最年少出場記録をつくった。その後、フランスW杯の日本代表候補になったが、最後に落選。99年にはオーバートレーニング症候群でワールドユース出場を逃し、翌年のシドニー五輪も代表から漏れるなど低迷した。しかし見事復活。日韓W杯では日本の16強進出に貢献した。

 高校時代には第1目標であるプロを目指すため、選手権へのあこがれを捨て、清水ユース入りを選んだ。「誰かのためにサッカーをするわけじゃない。目標を決めて突き進む事が大切」。己の意志で選択する事が重要と考える右サイドのスペシャリストが、自らのユース時代を振り返って、未来の日本代表を目指す現役高校生にエールを送った。

(写真=清水対仙台 後半45分、仙台リカルドのマークを振り切りシュートを放つ市川大祐=02年7月20日、日本平球技場)

 標を決めて突き進む事が大切 

−−サッカーを始めたのはいつですか

 市川 小1の時からです。兄3人がみんなサッカーをやっていたけれど、芽が出なくて、父からは4人目の自分には「野球をやらせたい」と言われていたんです。ただ、小学校にサッカークラブは1年生からあったけど野球は3年生からだったんです。それでサッカーになったのかな。


 備、攻撃の両方ができる選手になりたい 

−−右サイドバックに固定されたのはいつからですか

 市川 清水ジュニアユースに入ってからです。フォーメーションが4−4−2で、FWも務めたことがあったけど、右サイドバックをやってこんなに面白いポジションがあるんだって思いました。きっかけを与えてくれた監督(当時)の大石(和孝)さん(44=現磐田サテライト監督)には感謝しています。大石さんから「守備、攻撃の両方が出来る選手にならなきゃ駄目だ。3バックは守備専門。3−5−2のシステムはいつでもやれる。大人になって4バックにいきなり入れって言われても無理。4バックの中への絞りや、ポジショニングを覚えろ」と言われました。今もその時の経験が役に立っています。

−−高校選手権へのあこがれはありませんでしたか

 市川 プロがない時は当然、高校サッカーにあこがれていましたよ。静岡は全国でも強いじゃないですか。地元に清水商もあったし、サッカー部へ入ってやってみたいという気持ちは常にありました。


 ロができた時に気持ちが変わった 

−−(高校の部活を選ばないで)ユースを選んだ理由はなんですか

 市川 プロができた時に気持ちが変わりました。中学の時、初めてナビスコ杯が始まったのかな(注1)。それからですね。ユースでやっていこうと決めたのは。Jリーグが始まってよりいい環境を求めたし、実力があればサテライトやトップなどのレベルの高い試合にもすぐ出られる。コーチ陣も高校よりたくさんいる。そういう意味で1人の監督の目から見られるのではなく、様々な角度から見られた方がいろいろな事に気付くだろうと思いました。結果的にユースを選んで環境的にも指導者的にも恵まれている部分が多かったです。

−−決断に迷いはありませんでしたか

 市川 高校生になった時には、もうとにかくプロになりたいという気持ちが強かったですからね。実力がなければ話にならないけど、ユースはプロになる近道といえば近道。大石さんという素晴らしい指導者にも出会いましたから。


 気は最大の敵 

−−好きな言葉はありますか

 市川 サッカーではないんですけど炎のストッパー、津田恒美さん(元プロ野球広島投手、故人)がおっしゃっていた「弱気は最大の敵」です。津田さんの現役時代は知らないんですけど、岸谷五郎さんが津田さんを演じたドラマを見て、何でも自信を持ってやらないといけないと感じたんです。

−−高校の部活で頑張る選手たちへメッセージをお願いします。

 市川 ユースだけじゃなく高校サッカーも1つの道。どっちが正しくてどっちが間違っているなんて事は絶対にないと思います。しっかりと選んで考えて、決めることだから。何とも言えないけれど、誰に言われてサッカーするわけじゃないから。目標を設定して、突き進む事が一番大事。自分を信じて頑張って欲しいです。

※注1 93年5月のJリーグ開幕に先がけて、92年9月にJリーグ初の公式戦として「92Jリーグ・ヤマザキナビスコ杯」が行われた。11月に行われた決勝では、読売SC(現東京V)が1―0で清水FC(現清水)を下して初代王者に輝いた。


市川 大祐  (いちかわ ・ だいすけ)
市川大祐
 1980年(昭和55年)5月14日、静岡県清水市生まれ。小1でサッカーを始め、清水ユースでは97年Jユース杯優勝を飾った。各世代で代表入りも、世界大会出場経験はなし。98年4月1日の韓国戦に17歳322日で出場。日本代表の国際Aマッチ最年少出場記録を樹立した。02年W杯はロシア戦を除き、3戦176分間プレー。チュニジア戦ではアシストを記録した。181センチ、68キロ。家族は両親と兄3人。血液型はB。

(写真=清水対東京 キャプテンマークをつけて試合に臨んだ市川大祐=02年3月31日、日本平球技場)
nikkansports.comに掲載の記事・写真・カット等の転載を禁じます。
すべての著作は日刊スポーツ新聞社に帰属します。
Copyright2002,Nikkan Sports News.